8万人以上に愛されている、大人かわいい服とかばん。

もりのがっこう物語 後藤麻美のブランド、もりのがっこうが生まれてから、今のコトもりのがっこう物語 後藤麻美のブランド、もりのがっこうが生まれてから、今のコト

ミシンに夢中だった
子ども時代

私は幼い頃から羊毛やコットンで作られた温かみのある小物が大好きでした。

学校のお友達のお母さんが作ったワンピースや、手編みのセーターを見たときは、その心のこもった雰囲気にときめいていました。

しかし私の母は、頭がよく仕事ができるタイプの人でしたが、洋裁が一切できず、作ってもらえることはありませんでした。

そんなこともあって、自分で作ることにしました。
そこが初期衝動であり『はじまり』だと自覚しております。

お小遣いは全て布と手芸本へ、学校から帰宅したらすぐに制作。
明るいうちから作業に没頭して、手元が見えなくなってやっと夜だと気がつくことも度々ありました。

そんな私を見て母は、当時高額なミシンを買ってくれました。
勉強も運動もこれと言って出来ず、引きこもってお裁縫ばかりする子どもでしたが、母は温かく見守ってくれました。

母は、自分にはなかった価値観をいとも容易に認めてくれていたのだと思います。

ミシン到来から、手芸から洋裁へ。あっという間に仕上がるミシンの楽しさを知りました。

どの服よりも
お気に入りのワンピース

ミシンを触りだしたのが、当時9歳くらいだったと記憶しています。9歳の私にとって、洋服の図形は難解で、最初は失敗の連続でした。

まず、型紙を引いても100%前後がずれる摩訶不思議なことが起こります(笑)

ミシンで指を貫通させたり、ローリングカッターで流血したり。怪我もしましたが、そのハードルの高さがさらに私を夢中にさせ、気がついたら独学でワンピースを作れるようになっていました。

自分で作ったその服は、クローゼット内のどの服よりも特別なお気に入りのワンピースでした。

作る、
という喜び

そんな子ども時代を経て、私はファッション学科のある高校に進学しました。

実は中学校ではそこそこ勉強したのですよ。一時期は進学校へと進もうかと思ったのですが、「別の学校にファッション学科がある」と聞いてから、その学校以外は考えられなくなってしまい、母に相談しました。

母は私の性格をよく知っていましたので、『まぁそうなるよね』と了承してくれました。
高校生活は、とてもセンセーショナルな日々でした。

例えば、中学時代は「服装を整えなさい!」とゴムの色、ネクタイの締め方まで先生に指導されてきましたが、高校に入ると『制服を着崩す』とはどういうことか。という授業に変わります。

そんな一見変わった授業ですが、アイデアとセンスが問われる難しい授業なのです。正しいものを崩すことの方が教科書通りに着るより難しいのです。

はっとするアイデアや感動を与える答え。そのクリエイティブに私たちは頭を捻っていたのです。

コンテストや、ショーのチームで作るものづくり。たくさん苦悩して、たくさん笑って、作るという喜びを根底から教えていただいた高校時代でした。

「もりのがっこう」が
うまれた日

専門学校を卒業後、程なく子どもを授かりました。大人だと自覚した途端に育児がスタートしました(笑)。当時21歳。

この時は一生懸命でしたね。周りの友人が独身を謳歌しているときに、育児。
何だか、自分と子どもだけどこかに取り残されているような疎外感を感じたこともありました。若かったのですね。

夫もこの時は、会社の立ち上げ時期だったため収入も安定していなくて、慎ましいながら楽しい日々でした。

次女が2歳になって、生活も安定してきて、少し子育ても落ち着いてきた頃、ママ友から子どもの保育園や学校用品作りを頼まれるようになりました。

この時のショップが学校用品だったので『もりのがっこう』というショップ名にしました。

その後『もりのがっこう』は、お裁縫が苦手なママさん達から、レッスンバッグや上靴袋などののオーダーをいただくようになりました。何より嬉しかったのは、ママさん・お子さん達の「かわいい♡」という反応。とてもやりがいのある日々でした。

現在、学校用品は売っていないレディース中心のお店ですが、ショップの運営は、お客様に教えていただく機会そのものなので、”がっこう” であると思って『もりのがっこう』というショップ名は残しました。

ネットショップ、スタート

そして、子どもたちが幼稚園に通い出してからネットショップを作りました。

子どもたちを幼稚園に送り出した後、作品を作っては、写真を撮り、ハンドメイド通販アプリのminneにアップ。ご注文をいただいたら発送。家事・育児をこなして、子どもたちが寝静まったら、またミシンに向かう…。

お客様の「満足しました、使いやすいです!」というお言葉をいただいたときは、本当に本当に幸せな気持ちでいっぱいになりました。

有り難いことに、ご注文はどんどん増えていく一方で、睡眠時間がどんどん削られていきました。ある時、当時4歳の息子から衝撃の言葉をもらいます。

ひとりでひたすら頑張る毎日
でも…息子からの言葉

「ママどうして仕事はじめちゃったの??」

この言葉を聞いたときは雷が落ちたようにショックでした。

息子は覚えていないのですが(笑)私にとっては子どもからの警鐘だったのだと思っています。 恥ずかしながら、無我夢中で走っていて大切なものを置き去りにししていたのです。 最小限の家事しかできず、当時私の精神は糸が張り詰めたようにキリキリしていたと思います。

同じゴールを
見つめてくれる仲間

息子の言葉を聞いてから、作る仲間を増やそう!発送する仲間を増やそう!と思いました。 そして有難いことに、最高の仲間が見つかり、今の形になりました。

お客様のご満足というゴールに向かって一緒に進んでくれる、常にお客様目線に立って動いてくれるスタッフばかりで、日々本当に感謝しております。 一人の主婦が、一人ではなし得なかったアパレルブランドを確立できました。

ソーイング本出版

幼い頃から読み込んでいたソーイング本を、自分が作れる日が来るなんて思わなかったのですが、日本ヴォーグ社さんからお声をいただいた時は夢のようでした。

だけど、お声がけいただいた時は、末娘(ニックネーム:会長)を妊娠していたり、実際に進めてみたら予定していたものを全て作っても『全然作品が足りないです』と担当者様からご指示いただいたり、さらに本のモデルもすることになって、初めてだらけだったことを思い出します。

翌年、ブティック社様からもお声がけいただき、今度はバッグではなくお洋服のソーイングブックを作成しました。2歳の会長と一緒にその時もモデルをしましたので是非機会があったらご覧ください。

2019年 日本ヴォーグ社 『使い勝手のよい いつものバッグ (Heart Warming Life Series) (日本語) ムック』出版
2020年 ブティック社『暮らしが豊かになる服作り (もりのがっこう・後藤麻美のソーイングBOOK) (日本語) ムック』出版

杉野服飾大学の
非常勤講師に就任!

2020年からは、杉野服飾大学のファッションビジネス・流通イノベーションコースで、非常勤講師も務めています(2022年現在)。私自身、服飾デザイン学科のある高校、またパターン制作の専門学校に通っていたのですが、まさか教壇側に立つ日がくるなんて…。これもまた夢のようでした。

学生さんの前でわかりやすく話す、ということは初めての体験。でも、「講義をして話すということは、学生さんの人生の時間を奪うわけなので、化学反応が起きるような話をしよう」と心に誓い、なんとかやらせていただいております。学生さん達にとって、私の経験や伝えたことが、一つでも世に羽ばたくときの糧につながれば嬉しいです。
講義の様子はこちら

世の中からアパレルという
ごみを減らしたい。

大量に作られてどこかの量販店で売っている。私が服を買う時代はそれが当たり前でした。

手作りマーケットの利点は、作り手を感じられること。どういう経緯でこれを作ったか、というストーリーを感じられること。
それを知ると楽しいし、ものを大切にしたくなります。

ファストファッションは安くするために、かなり生地のコストを削減されていたりします。確かに若くスタイルが良ければ十分にカッコ良いです。

ですがワンシーズンでダメになってしまうのは結果、コストパフォーマンスが悪いように思いますし、環境にもよくない。もっと言えば、異常に安いものはそのむこう側で異常に安く働かされている人達がいるのです。

そのようなものは作りたくないのです。
「長く使えるように」という視点で生地を選んで、丁寧に縫製して、そうしてできあがった作品を数シーズンご愛用いただきたいと思っております。

それが私にできることだと信じています。

これからも『もりのがっこう』の服やカバンに、私の心からの”大好き”をいっぱい詰め込んでいきたいと思っています。

もしその洋服やバッグを、あなたのお気に入りに加えていただけたらこれ以上のことはございません。

株式会社もりのがっこう
代表取締役
株式会社もりのがっこう 代表取締役 後藤麻美

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